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歴史

日本におけるデーナの歴史
デーナは、アジア大洋州において50年以上の長きにわたって事業を展開しており、当社の事業拠点は20ヶ所の主な生産拠点と4ヵ所の技術センターにのぼります。これらの施設は、乗用車、商用車、オフハイウェイマーケットのお客様に対してサービスを提供しています。日本は、地理的にも、マーケットセクターの観点からも、デーナのよりバランスの取れた事業展開を達成する上で重要な役割を担う地域です。

  • 1972 – デーナが日本に最初の事務所を設立
  • 1975 – ナジコ・スパイサー®設立
  • 1984 – デーナ・ジャパン株式会社設立
    • デーナのJOEM向け、全世界の売上高1,500万ドルを達成
  • 1992 – デーナスパイサー®タイランド設立
  • 1994 – デーナのJOEM向け、売上高3億ドルに
  • 2001 – デーナアジア技術センター開設
  • 2001 – デーナのJOEM向け、売上高6億ドルに
  • 2004 – 日本ラインツ株式会社の株式の過半数を取得
  • 2004 – デーナのJOEM向け、売上高8億ドルに
  • 2007 – デーナのJOEM向け、デーナの売上高10億ドルを達成
  • 2013 – デーナ・ジャパン本社移転
  • 2016 – 日本ラインツ株式会社の株式を売却
  • 2017 – ブレビニの事業を買収
    • ブレビニジャパン株式会社がデーナ傘下へ

デーナ 沿革
1904年、クラレンス・スパイサーという名の工学専攻の学生が、コーネル大学を退学し、アメリカはニュージャージー州の空き工場の一角を使って起業しました。

まだ学生のうちに、スパイサーは自動車に動力を供給する、当時は画期的なデザインの実用的ユニバーサルジョイントを世界で初めて発明し、特許を取得していました。彼の発明は、文字通り自動車のくびきを解き放つものでした。なぜなら、それまでの自動車はすべて動力を伝えるためにチェーンとスプロケットの動きに依存していたからです。その始まりにおいて、彼の新事業は実に勇気ある一ステップでした。

有能な技術者にして発明家であったスパイサーは、ビジネスの経験も製造業の経験もありませんでした。自動車がグローバルな産業になることは明らかでしたが、20世紀初頭、その将来は不確定要素の方がはるかに多い時代でした。

デーナが世界で最も影響力のある自動車部品サプライヤーの一社として頭角を現し始めたのは、ちょうどこの自動車産業の黎明期でした。スパイサーの設計を基礎とし、法曹家、政治家そして投資家として秀でた商才を持つチャールズ・デーナによって後押しを受け、会社はその製品ライン、技術的専門性、地理的事業領域を一世紀にわたって広げてきました。この過程で、デーナは同社が提供する製品およびサービスにユニークな一面を加えることになる、先進的且つ人を尊重する文化を醸成してきました。

これらの強みの上に作り上げられたデーナの製品は、自動車史においても最高と評される自動車の駆動力となってきました --- T型から第2次世界大戦時代のジープ®から、ロンドンタクシー、18輪大型トラック、大型ブルドーザーやNASCAR®レースを走るすべての車まで、その多様性は枚挙に暇がありません。

次の1世紀に入り、デーナはその誇るべき偉業を更に大きなものにしつつあります。デーナの従業員はイノベーションへのあくなき挑戦を続けています。会社も、世界中のお客様の利益のために、モビリティという科学発展のための取り組みを続けています。

Clarence Spicer

クラレンス・スパイサー 写真

クラレンス・スパイサー。アメリカ・イリノイ州エデルステイン市出身。コーネル大学を退学し、ニュージャージー州プレインフィールド市でユニバーサルジョイント製造工場を開業。2年以内に、顧客層はビュイック、ウェイン、マック、オールズモビル、スティーブンス - デュリエー、アメリカンモーターカー、ダイヤモンドT、E.R. トーマスへと広がりました。

Charles Dana

チャールズ・デーナ 写真

チャールズ・デーナ、上記は1930年代の写真。1914年、デーナはスパイサーユニバーサルジョイントマニュファクチュアリングカンパニーに入社し、そのビジネスノウハウと資本を、成長中の同社に注ぎました。1916年、社長就任。1948年、会長に就任。